相手が辛い時に心に寄り添える人になりたい
前回の記事でも出てきましたが、義母(以下おばあちゃん)は、なかなかキツいし、ハッキリした性格です(^^;;
私自身へ意地悪はないですが、何でもハッキリ言う性格なので、正直ムッとする言動もあるし、傷つく事もちょいちょいあったり。でも、私はおばあちゃんの事は嫌いにはなれないのです。
それは、以前、今まで生きてきた中で、1番辛くて辛くて悲しい時に、私の心に寄り添ってもらった事があったからです。
嫌な事があっても、その言葉を思い出すと、溜飲が下がるというか、全てを許してしまうというか。
きっと、ずっとそうだと思います。
以下、死産の時の話をします。
目にしたくない方は、お控え下さいm(_ _)m
以前にもちょろっと書きました。
2011年に死産をしました。
初めての妊娠で、でした。
その年の1月上旬に母子手帳をもらい、2月中旬の頃の話です。
微量でしたが、出血が続いていて、自宅で安静にしててねー、と言われてました。
死産する数日前に、心配で受診した時は、赤ちゃんには特に変わりなく、ぴこぴこ元気に動いていました。
数日後に、妹の結婚式を控えていた私は、それに出席するつもりで、家で静かにしてたのです。
異変があったのは、夜でした。
お腹の痛みが、強くなったり、おさまったりを繰り返してたのです。
今、思えば陣痛だったんだと思います。
どんどん痛みが強くなって、こりゃ変だぞと思って病院に電話したら、朝まで様子をみてね、と言われたのです。
それから1時間位かな。痛みと戦いながら、様子を見てたら、何かがおりてきてる感覚がありました。
もう、その時点で怖くなってきたので、病院に再度電話。
私の声と状況に、すぐにおいで、と言われ、家に居たパパに言って、車で連れていってもらおうと、起き上がって玄関に歩き出した時に、出てきてしまったのです。
あーもうダメだ。涙が溢れてきました。
赤ちゃんを、タオルに包んで、それを私が持って車で病院にいきました。
悲しみと、パニックと、でも、変に冷静な部分もあって。
病院に着いて、パパが説明をしてれました。
すぐに処置をしてくれ、そのまま入院に。
後から聞いた話では、赤ちゃんは卵胞に入ったまま出て来てました。
珍しいケースだそうです。
そして、死産してしまった原因は不明でした。
私は、
すぐに病院に行かなかった後悔と。
赤ちゃんが居なくなってしまった悲しみと。
痛くて仕方なかった処置の疲労感と。
数日後に結婚式を挙げる妹のお祝いごとに水を差してしまった申し訳なさと。
その結婚式には出られなくなってしまった悲しみと。
色んな気持ちがごちゃ混ぜになり、処理が仕切れなかった気がします。
翌日の朝、両親に電話をしたら、泣いてて。
何かお互い謝りっこをしてたような気がします。
行けなくてごめんね
こっちこそ、行けなくてごめんねと。
そんな中、すぐにおばあちゃんが来てくれ
可哀想だったね、
きりんさんも、赤ちゃんも、パパもと、泣いてくれました。
そして、亡くなってしまった時の経緯を話したら、
最後に、赤ちゃん、手に乗せてあげられて良かったね、抱っこしてあげられたんだね、と言ってくれたんです。
その言葉が嬉しくて、私は涙が止まりませんでした。
あー。悲しかったけど、赤ちゃんに触れる事が、私は出来てたんだな、抱っこ出来てたんだな、と思ったら、悲しいけど、その辛い、悲しい思いが少し浄化出来たような気がしたんです。
やっぱり、それから立ち直るまでには、時間はかかりました。
でも、あの時、おばあちゃんに気持ちに寄り添ってもらって、私は嬉しかった。
結局、私の気持ちは私にしか分からないし、立て直す事も出来ないんだけど、辛い時に気持ちに寄り添ってもらえるだけで、それは、すごく強い力になるんだな、と思いました。
あの時のおばあちゃんの言葉を思い出すと、ちょっと位、ムッとした事を言われたって、まぁいっか、と思ってしまうんですよねー。
幸いにも、その後、2人の子宝に恵まれる事が出来ました。
あの時のお腹の子は、残念ながらお空にかえってしまったけど、私は大事な事をあの子に教えてもらったような気がします。
何か湿っぽくなっちゃったなー(´ー`)
でも、私はいつか、大切な人が辛い思いをしていたら、励ましたりするんじゃなく、まずは、気持ちに寄り添ってあげれたらいいな、と思ってます。
なんてね。
こんな長い話を読んで下さってありがとうございました。
今は私は、元気です(*´꒳`*)